へたれの独り言。

日常生活の中でふと思ったことを、心理学・臨床心理学を織り交ぜて考察します。様々な考え方ができるようになりたい。

\ Follow me!! /

「自分がない」という感覚について

こんにちは、へたれです。

今回は、「自分がない」という感覚について考えてみます。

 

 よく「自分探しの旅に行く」というような言葉を聞きます。「自分」を探す、とはどういうものなのかを考えてみたいと思いました。

 

 

「自分探し」の目的

 

 その目的は、もちろん「もう一人の自分」というような、物理的な存在を探しているわけではないと思います。もしかしたら中にはドッペルゲンガー的な何かを探している人もいるかもしれませんが…。
 大抵は恐らく、「自分のやりたいこと」や「生きる意味」を見つけることが目的なのではないかと思います。自分は何をしたいのか、何に向いているのか、どんな仕事をしたいのか、自分とは何なのか、なぜ生きているのか、などなのではないかと思います。
 つまり、何かしらの生きていく指針を求めているのではないでしょうか

 

なぜ「自分探し」をするのか

 

 僕の勝手なイメージですが、「自分探し」をするのは、今の生活に何かしらの不満を抱えていたり、仕事などで何をやってもうまくいかないと感じていたり、人間関係で傷ついたり、そういった理由からではないのでしょうか。思ったようにいかなくて、不満を抱え、「自分」について考え、その結果よくわからなくなって「自分探し」をするのではないでしょうか。
 今の生活の不満などから、「自分」というものがよくわからなくなって、「自分は何なのか」の答えを求めている、と思いました。

 

「自分探し」をする人としない人

 

 このような、「自分は何なのか」を考えることは多少は誰にでもあると思います。その確固とした答えが見つからなかったとしても、とりあえず今のまま生活していたり、これから先きっと答えが見つかると信じて生活していたり、誰に何と言われようと自分はこれがやりたいんだと内的に動機づけして生活している人もいると思います。しかし中には、その問いにかなり悩まされて、生きる指針を見失ったり、もともとなかったことに気づいたりして、どうしたらいいのかわからなくなる人もいると思います。何をすればいいのか、自分は何がしたいのか、がわからなくなり、「自分探し」をするのではないかと思います。

 

「自分がない」という感覚

 

 つまり「自分探し」というのは、「自分がない」という感覚があるのだと思います。「自分がない」というのは、空虚感虚無感とも言えると思います。心にぽっかりと穴が開いてたり、自分というコップが空になっているような、そんな感じかと思います。

 

自己決定の欠如と「自分がない」感覚

 

 ではなぜ「自分がない」という感覚をもつに至ったのでしょうか。それは、まずこれまでの人生において自己決定をあまりしてこなかったということがあるのではないかと思いました。自己決定とは、自分のことを自分で決めることです。行きたい高校や大学、やりたい仕事などを自分で決めるというようなことです。もちろん、行きたい高校や大学に受からなかった、やりたい仕事ができる会社に就職できなかった、ということはあると思います。

 

誰かの言う通りにしていないか

 

 少し視点をずらして考えてみます。親の言うことや周りがしていることに流されていないでしょうか。親が言ったことが絶対だと信じてその通りにしたり、親や先生が「偏差値の高い大学に行った方がいい」と言うからなんとなくそうなのかなと思って頑張ったり、周りが就活し始めたから自分もした方が良いかなと思って始めたり、特にやりたいことがあるわけでもないけどあの人が受けたから自分も受けてみようとか、みんなとりあえずで色んな会社を受けているから自分もそんなやりたいわけでもないけどいろんな会社受けてみようとか、そういうことです。もちろん親や先生の言うことが間違っているということを言っているのではありませんし、周りと同じことをするのがいけないということでもありません。ここで大事なのは、その行動は自分が選んだものなのか、ということです。自分で選んだ結果、他の人と被ったりすることもあると思います。それは別にどうでもいいです。あくまで、自分で選んで、自分で責任を負うことができてるのか、です。

 もし親や先生の言う通りに生きてきて、その結果が良くないものであった場合、それは「親や先生のせいだ」と思うことができるかもしれません。何か自分以外のもののせいにして生きていくのは楽だと思います。しかし、誰かの言う通りに生きてきたのなら、これから先も誰かが生きる方向を示してくれないと困ることになります。これまで自分で決めて自分に責任を負って生きてきたという経験が少ないと、どうやって決めていけば良いのかよくわからなくなります。だから常に誰かの助言(これは生きる指針のようなもの)を必要とします。しかし常に誰かしらから生きる指針をもらえるとは限りません。特に年齢的に大人になれば、「そのくらい自分で決めろ」と言われることが多くなります。周りからは、自分の人生は自分で決めることが求められるようになります。

 そうした結果、自分のやりたいことがわからず、生きる意味が分からなくなり、自分というものに疑問をもつようになり、「自分がない」という感覚になるのではないでしょうか

 

幼少期の環境と「自分がない」感覚

 

 もう少し掘り下げてみます。人の言う通りにするという特性がどうしてできたのか、についてです。

 まず1つは、学校という場が関係していると思いました。学校ではみんなと同じようにすること、先生の言うとおりにすることが求められます。先生の言う通りにしなかったり、みんなと違うことをしたりすれば、注意されたり怒られたりします。学校という場では、先生の言う通りにして、みんなと同じことをすれば怒られない、褒められることもある、ということを学んでしまいます。もちろん悪さをすれば注意されたり怒られるのが普通なのかもしれませんが…。

 もう1つは、さいころから親の言う通りにすることで褒められ、親の言うことと違うことをすれば怒られる、という環境の影響もあるかと思いました。もちろんここでも悪さをすれば怒られるのは当然だと思います。しかし、親の言ったことが絶対というのはどうかと思います。親の言ったことと違うことをしたとしても、その結果が悪さでないのならば、その子の個性として捉えるのが良いのではないでしょうか。人はみな違うのだから、親が自分の思った通りの子どもになることは不可能です。子どもにも心があるし、色々なことを試行錯誤して、考え、行動し、やりたいことをしたいと思うものだと思います。親が子どもの人生を強制してしまうと、子どもの「自分という感覚」は育たないし、自己決定も難しくなります。

 「自分がない」という感覚は、このような幼少期の環境の影響もあるのではないかと思いました。

 

終わり

 

 すごーく簡単にまとめると、「自分探し」というのは今「自分がない」という感覚をもっていて、「自分がない」という感覚は自己決定が難しく誰かに生きる指針を求めている状態であり、その状態は幼少期の環境の影響もあるのではないか、ということです。
 ま、ほとんど自分のことのようなものです。自己分析の結果みたいな感じです。でも他の人にもこのような感じがあるのではないかなと思って書きました。ちなみに僕は「自分探しの旅」はしたことはありません。
 それと、また親のことを書きましたが、親が悪いということを言っているわけではありません。
 あと、この考えが正しいというわけでもないです。このように考えることもできるのでは?という仮説です。個人の意見です。

 

 

ではでは。