へたれの独り言。

日常生活の中でふと思ったことを、心理学・臨床心理学を織り交ぜて考察します。様々な考え方ができるようになりたい。

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個人心理学、アドラー心理学【まとめと感想】

こんにちは、へたれです。

個人心理学について、まとめや思ったことなどを書いていきます。

 

 

まとめ

 

 私たちは、自らが意味づけた主観的な世界に住んでいる。ある出来事などに対する考えや感じ方が違うように、誰一人として同じ世界に住んでいるわけではない。世界の見え方、捉え方を変えれば、世界はとてもシンプルなものになる。

 そして、人は必ず何かしらの目的のために生きている。生きづらい世の中と感じているのであれば、そう感じたい目的があり、その目的のために自らが選んで「生きづらい世の中」に生きている。過去や親のせいと考えているのなら、そう考えたい目的があり、その目的のために過去をネガティブなものと意味づけ、今持ち出しているのである。経験自体が今を決定するのではなく、その経験に対する意味づけによって今が決定するのである。

 また、性格のことをライフスタイルと言い、世界のあり方や捉え方のこと。そしてライフスタイルは、今ここで変えることができる。先天的なものではなく、後天的なものと考える。変わりたいと願いつつ変われないでいるのは、変わらないという決断をしているから。その目的は、今のままでいる方が多少の不満はあっても楽だからである。変わるということは、この先に何が起きるのか全く分からず、幸せになるかもしれないしもっと不幸になるかもしれない。それが不安となり、今のままであることを選ぶのである

 また、劣等感とは客観的な事実ではなく、主観的な思い込みである。今ある事実がなんであるかではなく、その事実に対してどう意味づけるか、が大事なのである。

 加えて、劣等感を言い訳として使いはじめた状態劣等コンプレックスと言う。「学歴が低いから」「顔が良くないから」と考えているのならそれは劣等コンプレックスである。さらに、「~だからできない」というのは「できない」のではなく「したくない」のである。「したくない」ということの言い訳として「~だから」を持ち出しているのである。

 劣等感と関連して不幸自慢がある。これは自分の不幸を他者に伝えることで、「不幸」という点で人より上に立とうとしているのである。そうすることで、他者からの同情や心配が得られ、「不幸」という「特別」になれる。一方で、その人は一生「不幸」を必要とするのである。

 また、承認欲求を否定し課題の分離を推奨する。承認とは他者から認められることであり、他者の期待する自分を生きることになる。その場合、常に他者の目を気にし、生きづらい世界となる。課題の分離は、今ある課題は誰のものかを考えて自分の課題と他者の課題を分けること。そして、他者の課題には介入せず(するとしても援助程度)、自分の課題を遂行する。自分の行動に対して他者がどう思うかは他者の課題であり、自分は介入できない。今目の前にある自分の課題は自分のものであり、他者は介入できない。他者からどう思われるかなど関係なく、自分の信じる最善の道を自分で選ぶのである

 そして、幸せになるために必要なのは、貢献感である。「自分は誰かの役に立っている」という感覚をもつことが生きやすい世界につながる。これは承認欲求とは違い、実際に誰かの役に立っているかどうかは関係ない。あくまで、「人の役に立てた」という自分の感覚のこと。役に立ったかどうかは他者が決めることである。人は、「誰かの役に立てた」と実感できた時に、自分に価値が持て、このまま生きていていいんだという安心感、そして生きやすい世の中や幸せにつながっていくのである。

 感想

 

新しい考え方

 

 今まで、やっぱり何事も「過去」に原因を求めてきました。「過去」にどういうことがあって、それがどういう意味を持って、現在にどう影響を与えているのかと。そうした中で、個人心理学に出会って驚きました。「過去」も「トラウマ」も否定していて、今の目的のために「過去」を持ち出しているのだと。言い訳をしているのだと。
 また、「主観的な世界に生きている」というのは改めてそうだなと思いました。同じ世界に生きているようで、それぞれの主観に彩られた別の世界を生きている。これは面白いです。
 目的論、主観的世界、自らがそう決めた、などの考え方は斬新で「そんな考え方もあるんだ」と学びました。

 

必ずしも選んだのではない

 

 ただ、すべてのことを自分が選んだというのは無理があるかなと。統合失調症発達障害など、遺伝的要素器質的な要因に関してはどうすることもできないと思います。さらに、妄想や幻聴などについては説明できないような気がします。それらに困っているという実感があっても、それらは自らが作り出したものだ、というのは無理があるかなと。
 こういう点に関して、個人心理学では神経症圏の方を対象としているという印象です。ある程度の自我が育っていてバラバラでない、でも何かに悩んでいるような人が対象かなと。

 

自己愛の理論に似ている

 

 劣等感や承認欲求などの話は、まさに自己愛かなと思いました。自慢する人は、自分を大きく見せないと認めてもらえないという思いから自慢をする、というのは誇大型の自己愛です。他者からの目を気にしている、承認されたい、というのは過敏型自己愛です。これらの点に関しては、フロイトコフートカーンバーグなどと同じように、新たな視点でとらえようとしているのだと思います。恐らく、コフートと同じように自己愛を満たすことが必要なんだと言っているのだと思いました。ただコフートと違う点は、他者の評価を必要としないということですコフートは自己愛を満たすためには他者が必要だと言い、アドラーは他者の評価は必要なく「役に立った」という貢献感(実感)が必要なんだ、と言いました。そうした貢献感から、自分への価値が生まれる、と。
 自己愛に関しては色々な人が色々なことを言っています。正解なんてありません。なので、アドラーの考え方も「たしかにそうかもな」という感じです。

考え方を変える

 

 過去の経験に原因を求めていると、過去の経験自体は変えようがないので今も変われないということになります。性格なども変えることができないと考えるなら、これからの出来事の捉え方も変えようがありません。多少は変えられるかもしれませんが、過去によるものならば、その根底にあるものは変えられないと思います。
 しかしアドラーはすべての人は幸せになれると説きます。そのためには、過去の経験に原因を求めていては無理です。だから、過去の経験それ自体ではなく、経験への意味づけが今を決定しているのだと考えたのだと思います。どうしようもできないことにあれこれと原因を求めたところで、今は変わらない。だったらどうにかできるところに焦点を当てて考えてみよう、ということです。
 また子どもは親を選べないし、環境も選べません。今があるのは親や環境が原因だと考えるなら、やっぱり今は変わりません。それなら、それへの意味づけを変えてみる。つまり、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう捉える意味づけるか、なのです。貧しい家庭や非共感的な親、自分の容姿など、それ自体は変えられなくても、それへの意味づけはいつでも変えることができます。そこに焦点を当てようというのがアドラーの考えた理論だと思います。

 

受け入れがたい

 

 ただ、何度も言っているように、とても受け入れがたい考えです。おそらく僕らは何かのせいにすることの方が楽だと思います。今のこの現状や出来事など、これらは誰かほかの人や何かのせい、と。そうした方がストレスが少ないし、傷つかなくて済みます。しかしアドラーは、今の状態は自分で選んだんだ、と考えます。今のこの悪い状態は自らが選んだ、と。そうするとすべてが自分の責任になり、ストレスになります。受け入れるのは容易ではありません。
 しかし同時に、過去など関係なく、今ここから幸せになれるとも言います。これはまだ救いがある感じがします。
 だとしても、やっぱり僕らは過去を考えてしまう。今の状態を過去や他の人やもの、状況から考えてしまう。そういう癖みたいのがついているような気がします。それを捨てて、すべては自分が選んだのだから、これからの人生も自分で選べる、と考えていこうと説きます。難しいです。強烈な直面化という感じです。

 

僕が考えたこと

 

 しかし、アドラーの考えの中で受け入れられる部分もあります。最初に書いたように、目的論や経験への意味づけ、それぞれの主観的世界に生きていることなどは、なんとなくわかるし、これから役に立つかもしれません。だったら、その部分だけを生かしていけばいいのかなと思いました。アドラーの考え全てを受け入れる必要なんてないと思います。正直、この考えが世の中の正解とは限らないのだから。このように考えていない人でも、今を幸せに生きている人はいると思います。自分の受け入れられる、これから役に立つかもしれないと思ったことだけ吸収すればいいと僕は思いました。     
 それに、もしアドラーの考えを完全に理解して実行しようとするのなら、そこにはアドラーの認める人生という側面もあると思います。つまり、自分の人生というより、アドラーの考えた人生を生きるようにことになってしまうのではないか、と。それは結局矛盾しているようにも思えます。
 結局のところ、自分の生きたいように生きればいいと思います。もし人から認められたいと思っているのなら、それを実行するのでもいいと思います。そうした中で、なんかおかしいなと感じたら、本を読むなり自分で考えるなりして、自分で修正していけばいいかなと。やっぱり生きる指針というものは誰にでも必要なものではないかと思いました。何かに頼りたい、生きる道を与えてほしい、そういう考えは多少はあるかと。それが何であってもいいと僕は思います。

 ひとつの考え方として、アドラー心理学があるのだと思います。

 

 

終わり。

ではでは。