へたれの独り言。

主に心理学、臨床心理学に関連したことを書いていきます。

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個人心理学、アドラー心理学【劣等感】

こんにちは、へたれです。

前回の続きです。個人心理学、アドラー心理学について書いていきます。

 

 

④性格とライフスタイル

 

 アドラー心理学では、「人は変われる」「幸せになれる」という立場を強調する。しかし、「性格は簡単には変わらない」と感じるだろう。そこでアドラー心理学では「性格」ではなく、「ライフスタイル」という言葉を使う。ライフスタイルとは、物事の考え方や行動の傾向、世界観や人生のあり方のこと。そして、ライフスタイル(性格や世界観)は自ら選んだもの、と考える。だからこそ、これから再び選び直すことができるのである。
 加えて、人はいつでも変わることができる。今すぐにこのライフスタイルを別のものにすることができる。変われないでいるのは、変わらないという選択をしているからだと考える。
 では、変わりたいと思いつつなぜ変わらないという選択をしているのか。それは、変わらずに今の自分のままでいることの方が楽だからである。人は変化を嫌う。多少不満があっても、今のままでいれば、これまでの経験に則って出来事に対処でき結果も推測できる。しかし新しい自分になってしまうと、何が起きるかわからず、対処の方法もわからず、この先幸せになれるのかもっと不幸になるのかわからない。わからないということに不安が生じる。だから、「幸せがあるかもしれないが、どうなるかわからないという不安」より、「不満はあってもわかる安心」を選ぶのである。
 そして、可能性の中に生きているうちは変わることはできない。「もしあの人のようになれたら」「もしこんな家庭に生まれてなければ」「もっと時間さえあれば」というように。変わらないことへの言い訳である。

 

思ったこと

 

 たしかにそう言われればそうだな、と思いますね。ただ、しんどい。自らに言い訳をして不幸な人生を自ら選んできた、という現実を受け入れるのはしんどいなと思いました。すべての原因は自分にある、と。ただ、どんな過去を歩んで来ようがこれからの人生には関係がない、とも言っています。あくまで、過去がどうであったかよりも、未来(現在)をどうするかを考えよ、ということだと思います。
 それと、人は想定不可能なことに不安を感じるというのは、まさにその通りかなと思いました。仮に未来に嫌なことが起きるということが想定できているのなら、対応の方法を考えることができ、シミュレーションして多少不安を緩和することができます。しかし未来に何が起きるのか全く分からなければ、対応を考えることなどできませんし、不安を感じます。だからこそ、「変化」より「安定」を求めやすいのだと思いました。

 

⑤自分を好きになれない

 

 自分を好きになれず、自身を持てず、短所しかなく、自己評価が著しく低い人がいる。ここにもそう考える目的があると考える。その目的とは、自分を好きにならないでおくという決心をし、対人関係の中で傷つかないようにすることである。この場合、他者から否定され、拒絶され、心に傷を負うことを非常に恐れている。そして、対人関係の中で傷つくことを避けるために、自己評価を下げ、短所ばかりに注目し、自分の殻の中に閉じこもり、対人関係自体を避けようとする。仮に他者から否定されたとしても、「自分には短所しかないから仕方ない」と言い訳をすることができる。加えて、「もっと自分に長所があれば」「自分をもっと好きになれれば」と可能性の中に生きている。こういった生を自ら選択し実行しているのである。
 そして、こうした状況から抜け出すためには、今の自分を受け入れ、変わることへの勇気をもつことが必要。

 

思ったこと

 

 自分に自信がなく傷つくことを過度に恐れているというのは、身に覚えがありますね。こう読んでみると、たしかに理にかなっているというか、そうなのかもしれないなと思います。自己評価を低くして他者からの批判による傷つきを最小限に抑える。一番しんどいのは、自信を持っていることを他者から批判されることですし。そのときの傷つきを想像したら、最初から自信なんて持たない方がいいと思ったりします。この点は自己愛に関連しそうですね。
 ただまあ、やっぱりしんどい言葉ですね。カウンセリングの基礎にある共感や受容なんてものは全くないように思えます。そういう意味で、僕にとっては今までにない真新しい心理学だなと思いました。

 

⑥劣等感

 

 劣等感とは、何かで人より劣っていると感じること。身長が低い、顔が良くない、性格が悪い、こういったものを劣等感と言うと思う。しかし、それらは他者との比較の中で生まれた主観的な思い込みである。身長が低いことは人を威圧せずくつろがせることができるとか、顔が良くないのも誰かにとっては好きな顔かもしれないし、イケメンではないからこそ相手を緊張させず素で話せるとか、それへの考え方はさまざまである。劣等感としてよくないものと捉えるか、何かしらの長所があると考えるか。つまり劣等感とは、「客観的な事実」ではなく「主観的な思い込み」なのである。事実として何があるかよりも、それに対してどう思うかが大事。そしてその意味づけはいつでも変えることができるのである。
 しかし同時に、劣等感とは必ずしも悪いものというわけではないとも言っている。劣等感を、今より前進するためのバネとして活用するのであれば、それは何の問題もない。「じぶんはまだまだダメだ。だからもっと頑張っていこう」などと。このような「今より前進していこう」とする状態を優越性の追求と言います。

 

⑦劣等コンプレックスと優越コンプレックス

 

 問題となるのは、劣等感をある種の言い訳として使いはじめた場合である。この状態を劣等コンプレックスと言う。「顔が悪いから彼女ができない」「学歴が低いから成功できない」などは劣等コンプレックスである。これらは「できない」のではなく、「したくない」のである。不自由や不満があっても今のままでいる方が楽だし、変わろうとして行動して何かで傷つくことを恐れているため、「したくない」という目的のために言い訳をして「変わらない」という選択をしているのだと考える。
 逆に言うと劣等コンプレックスは、その言い訳がなければできるのだ、と思っている。「学歴さえあれば成功できる」「顔さえ良ければ彼女ができる」というように。~さえあれば/なければ、自分は有能で価値のある人間だ、ということを言外に暗示している。
 また、自慢というのは劣等感の裏返しと考える。過去の栄光にすがり自分の手柄を言葉にして他者に伝えようとする人。これらは大きな劣等感を抱いており、自分の凄さをことさらにアピールして他者に伝えないと、他者は自分を認めてくれないと恐れているのである。この状態を優越コンプレックスと言う。
 加えて、自慢が特異な形になったものに不幸自慢がある。不幸自慢とは、自らの不幸な生い立ちや経験などをまるで自慢するかのように語ること。「こんなにも不幸なんだ」と他者に伝えることで、「不幸」という点で人より上に立とうとする。そして「この不幸は誰にもわかりえない」と殻に閉じこもることで、「特別」であろうとする。「不幸」を武器にして振り回し、「誰にも理解されない不幸」によって「特別な存在」であろうとし、他者を支配しようとする。そうした優越感を得ることが目的となってしまっている。そしてそのような人は、「不幸」を武器に使っている限り、一生その「不幸」を必要とする

 

思ったこと

 

 自己愛の話ですね。フロイトコフートの自己愛の理論のような、そしてそのような理論をまた違った言葉で説明しようとしている感じかなと。
 劣等感は「客観的な事実」ではなく「主観的な思い込み」であるという考えは面白いなと思いました。「客観的な事実」であるとすると、それは変えることができず一生付き合っていかなければいけないと感じます。しかし「主観的な思い込み」であるなら、その思い込みを変えることで「劣等感」として感じなくて済みます。
 また、不幸自慢をすることでその「不幸」を一生必要とする、というのも面白いです。「不幸」によって「特別」であろうとすることを脱しない限り、幸せになりたいと願いつつも「不幸」を必要とし「不幸」であることを自ら選ぶ、という矛盾。
 結局のところ、変わりたいと願うけれども、変わることへの恐怖や不安のために、変わらないことを選んでいるんですね

 

まとめと感想

 

 総じて受け入れるのが容易でない、厳しい現実を突きつけられているような印象を持ちました。たしかにこのように考えることで、これからの人生を良いものにしていけると考えることができるかもしれませんが、同時にこれまでの人生を「すべて自分のせいだ」と言われているような感覚になります。
 また、ほとんどが自己愛の話のように思えます。自分を好きになれない、自分に自信がない、他者から認められるには自分を価値ある人間だと大きく見せる必要がある、傷つくことを恐れるために自分の殻に閉じこもる、時には不幸であることによって自分に「価値」や「特別感」を持とうとする、これらはこれまで書いてきたような自己愛の話とかなり似ていると思います。アドラーは、自己愛と言う視点から人の幸せを説いているのかなという印象を持ちました。

 

 

今回はここまで。

ではでは。