へたれの独り言。

日常生活の中でふと思ったことを、心理学・臨床心理学を織り交ぜて考察します。様々な考え方ができるようになりたい。

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個人心理学、アドラー心理学【考え方】

こんにちは、へたれです。
今回から、アドラーの提唱する心理学、理論を、アドラーに関する本を読んで自分なりに理解したことを書いていきます。

 

①世界はシンプル、人生もシンプル

  人は主観的な世界の住人であり、自らが意味づけをした主観的世界に生きている。同じ世界に住んでいるように見えて、それぞれの主観の世界に生きている。主観というのは、その人の捉え方感じ方考え方のこと。例えば、学校でのテストで70点を取ったとしても、その70点に対する意味づけは人それぞれである。ある人は「よっしゃ、70点も取った」と思えば、ある人は「うわ、70点しか取れなかった」と思う。客観的には同じ70点であっても、それに対する考え方、つまり主観はその人によって変わってくる。
 こういった意味で、人は自らが意味づけた主観的世界に生きている、ということである。今の世界を生きづらいものと感じるのは、その人が世界はいきづらいものと意味づけているからである。生きやすいと感じるのは、その人が生きやすいと意味づけているからである。

 思ったこと

  こういった考えは事実であるとは限りません。あくまで、このように考えることもできるよ、と言っているだけです。必ずしも世界がこの考え方によって成り立っているとは限らないです。今ある生きづらさを、環境を変えるのではなく、考え方に焦点を当てて考えてみよう、という話です。この世に正解なんてないのだから…。

 

②目的論という考え方

  基本的に、人は今の状況に対して過去の原因を考える。例えば、今のパニック障害は過去の親子関係や環境のせいだ、と。現在が、過去によって規定されている、と考える。
 しかし、そう考えると辻褄が合わなくなる。過去が現在を規定するのならば、過去に同じ体験をした人は、現在同じ状況になっていなければならない。親の離婚によって引きこもりになった人がいるとするならば、親の離婚を経験した人はみんな引きこもりになっているはずだと。過去が現在を規定するというのはこういうことである。
 しかし現実には、親の離婚を経験しても引きこもりにならず元気な生活を送っている人もいる。このような現実が存在するため、過去が現在を規定するという考えは否定されることになる。
 では、引きこもりの人はなぜ引きこもるのか。ここで目的論が出てくる。目的論とは、ある目的のために今の行動を決定する、という考え方である。引きこもりの場合、外に出たいと願っているが、実際に外に出ようとすると頭痛や腹痛、不安や恐怖などによって外に出られないでいる。これを目的論で考えると、外に出たくないという目的を叶えるために、頭痛や腹痛、不安や恐怖を作り出している、ということになる。しかし作り出したと言っても、その頭痛や腹痛、不安や恐怖が偽りというわけではなく、その人にとっては事実である。

 思ったこと

  なんとなく思うのは、必ずしもある原因とある結果がつながっている、とは考えられないなということです。ある体験をしたならば、その同じ体験をした人がみんな同じ結果にならないとおかしい、という話ですが、同じ体験をしたとしても、その捉え方や考え方は人それぞれなのだから、同じ結果になるとは限らないのではないでしょうか。それこそ①のように、客観的には同じ体験であっても、主観的には違う体験なのだから、結果が違うのは当然なのでは、と思います。
 ただ、ここで言っているのは、おそらく変えることのできない過去に囚われていたら、いつまで経っても現在は変わらないよ、ということなのかなと思います。それを知らせるために、目的論という考え方を出したのかと。考え方の視点を変えてみよう、という話ですね、きっと。

 

③目的論の延長、経験への意味づけ

  人は、その経験自体によって決定されるのではなく、その経験に与える意味によって決定される、と考える。つまり、過去の経験が現在を規定しているのではなく、現在の目的を叶えるために自らが意味づけた過去の経験を見つけ出している。

「現在の目的を叶えるために自らが意味づけた過去の経験を見つけ出している」

 同じ経験をしていても、その経験に対する意味づけは人によって違う。ポジティブに捉える人もいれば、ネガティブに捉える人もいる。例えば、先ほどの引きこもりの場合を考えてみる。「親の離婚という経験のために、社会に出ることができない」と考えているならば、そう考える目的が必ず存在すると述べている。その目的とは、外に出ない/出たくないというものである。ではなぜ外に出たくないのか。それは、引きこもることによって、家族などからの気遣いや同情が得られるからである。またもし外に出てしまえば、誰からも注目されない「その他大勢」になってしまったり、人より劣った自分という認識になって、苦痛を味わうことになってしまう。つまり、特別感や注目を得ることを目的としており、「親の離婚」という過去をネガティブなものと自ら意味づけ、目的を叶えるために引きこもりという状況を作り出しているのである。そして引きこもりという生を選択したのは自分である、ということである。
 もちろん過去の経験が人格の形成に与える影響が全くないわけではない。が、その経験によって何かが決定されるということはない、と考える。あくまで決定する要因は、その経験への意味づけ、である。加えて、その生を選択したのは自分である、と考える。

 思ったこと

  たしかに、僕らは過去の経験に対する意味づけによって今を生きているのかもしれないですね。今の悪い状態は過去が良くなかったからだ、と考えたりします。同じ経験をしたとしても、「良い経験だ」と思って前を進んでいく人もいれば、「あの経験のせいで」と思ってとどまってしまう人もいると思います。そう考えると、客観的な過去の経験ではなく、主観的に自らが意味づけた過去の経験によって決定される、というのも理解できるような気がします。

 

まとめと感想

  とりあえずここまで。
 ここで言っていることは、考え方を変えてみよう、ということだと思います。「自分が今幸せでないのはこの過去があるからだ」とか「貧しい家庭に生まれたからやりたいことができないんだ」とか、変えることのできない過去の経験そのものや生まれを理由にしていては、現状は変わらないんだ、と。加えて、「今の人生を選んだのは自分だ」と考えることで、これからの人生を自分が選ぶことができる、ということを言っているのだと思います。もし自分の人生が過去に起因するなら、これからの人生も過去によって決められてしまうことになってしまうんだと思います。過去のせいにしてこれからの人生も幸せでないものと考えるより、考え方を変えてこれから良い人生を自分で選ぶことができると考える方が、希望が持てるだろうと。
 ただいきなり考え方を変えようと思ってもなかなか難しいし、これまでのあまり幸せでない人生を送ってきたのは自分がそれを選んだからだ、と考えるのは結構しんどいものがあると思います。それに何かのせいにして、過去の経験のせいや親や環境のせいにして生きていく方が自分への負担が少なくて済みますし…。

 

 

ではでは。