へたれの独り言。

日常生活の中でふと思ったことを、心理学・臨床心理学を織り交ぜて考察します。様々な考え方ができるようになりたい。

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成熟と未熟の区別、自己愛理論について追記

こんにちは、へたれです。

今回は、コフートの自己愛理論の誤解と、成熟した自己愛と未熟な自己愛の区別について書いていきます。

 

 

これまでのまとめ

 

 ここまで自己愛についてフロイト理論からコフートの理論を紹介してきました。

   フロイトはもっぱら自己愛をあまり良くないもの、発達の途中のものとして捉えてきました。コフート自己愛にも肯定的な側面もあり、それが人間としての成長につながるとし、しかし未熟な自己愛というのもあり、それは幼少期における環境(親の反応など)に影響されると考えました。

 「誇大自己(自分はすごいんだと思うこと、そう思いたい欲求)」が現実に即して満たされることによって、適度な自信や挑戦する心(つまり野心の極)ができあがります。「理想化された親イマーゴ(すごい人の一部になる、そうなりたいという欲求)」が適度に満たされることによって、ネガティブな感情に巻き込まれすぎない心や理想とする像、道徳観(つまり理想の極)ができあがります。この野心の極と理想の極をもっていることが成熟した自己愛であると考えました。

 逆に幼少期にそれらが満たされない体験によって、非現実的な万能感誇大性、もしくは過度に自信の持てない、さらに強い不安を感じ傷つきやすい人間(未熟な自己愛)になってしまうと考えました。

 

親について

 

 親(養育者)について追記します。

 コフートは、「誇大自己」は主に母親、「理想化された親イマーゴ」は主に父親に満たされると考えました。しかし、実際には様々な理由で母親だけであったり父親だけであったり、場合によっては施設で育ったということもあり得ると思います。そうした場合、それぞれが満たされず、必ず自己愛が成長しない、というわけではありません。

 例えば、父親がいなかったり仕事のために全然会うことがなかったとします。しかし、代わりに母親や祖父母など、他の人に「誇大自己」と「理想化された親イマーゴ」を満たしてもらう体験をすることができれば、成熟した自己愛に発達することは十分あり得ます。

 つまり、父親や母親がいなかったとしても、他の人がそれぞれの体験を代わりにもたらしてくれるなら、それで良いということです。特定の人がいることよりも、「誇大自己」と「理想化された親イマーゴ」が満たされることが大事なのです。

 

未熟な自己愛と成熟した自己愛の区別

 

 ここまで自己愛についてみてきて、あまりにも自分のことばかり考えていて、非現実的な万能感や自慢ばかりしたり、人をあまりにも見下したり相手に共感できない場合、その自己愛は未熟なままとどまっていると考えることができると思います。しかし、成熟した自己愛と未熟な自己愛の明確な境界線がどこなのかと聞かれると、なかなか答えることができません。どこまでが適度な自信でどこからが過度な自信かなど明確に区別できないと思います。自惚れやナルシストという言葉がかなり浸透しているため、余計に難しいと思います。

 この点に関しては、現在では何とも言えないです。とりあえず、あまりにも現実離れした自信や万能感を持っている場合は未熟であり、適度に自信を持っていて色々なことに挑戦する勇気がある場合は成熟していると考えます。

 

 

今回はここまで。

ではでは。