へたれの独り言。

主に心理学、臨床心理学に関連したことを書いていきます。

\ Follow me!! /

自己愛について考える

こんにちは、へたれです。

今回から、「自己愛」について考えていきます。

 

 

 

自己愛とは

 

 自己愛とは、簡単に言ってしまえば、自分で自分を愛することです。精神分析においては、ナルシシズムのことです。ナルシシズムという言葉の方が馴染みがあると思います。

 ナルシシズムは、精神分析学者のネッケという人が「自分の姿や身体にのみ愛や性欲を感じる」という性倒錯を表すために使いました。つまり自分が大好きで、自分に興奮するということです。語源はギリシャ神話のナルキッソスです。ナルキッソスという男が池に移った自分の姿を見て、恋をする話です。その後、精神分析の生みの親であるフロイトナルシシズムという言葉を使い始めました。

(今では自己愛を性倒錯として使うことはほとんどないと思います)

 

フロイトによる自己愛

 

 当時フロイトは、自己愛を、リビドーが自分に向いている状態と定義しました。要は、広い意味で自分が大好きな状態と考えてください。

*リビドーとは、性的エネルギー、愛するエネルギーのことです。

 フロイトは、リビドーは本来、最終的に対象(他者)に向かうものとしました。

f:id:hetare_k:20190323144622p:plain

 しかし、初めから対象に向かうわけでありません。幼児は、まだ他者という認識が確立しておらず、自我も芽生えておりません。そのため、誰かを愛するとか誰かに愛されるとかがわかりません。なので、自分の身体の一部分だけを愛することで、満足を得ようとします。ゆびしゃぶりなどのことです。これを「自体愛」と言います。

 そうして徐々に自我が芽生えてきて、他者という認識や他者を愛する、愛されるということを理解してきます。ここで「自己愛」が生じます。自己愛とは、自分の体の一部分だけでなく、自分自身(自我、自己)を愛することです。

 こうした自己愛の段階を経て、最後に対象愛になると考えました。対象愛とは、対象(他者)を愛することです。何の見返りもなく、自分のためではなく、純粋に対象(他者)を愛することが、最終地点であると考えました。

 このようにフロイトは、自己愛は発達の中間地点にあり、それを乗り越えて対象愛に至るのが本来の発達経路だとしました。そうした中で、自己愛の段階で止まってしまうと、自己愛的となり他者との関係を上手く作ることができず、未熟なままであるとしました。

 

自己愛というイメージ

 

 このように考えると、自己愛は否定的なものにみえるかもしれません。実際、現代において自己愛やナルシシズムと聞くと、自己中心的な人やナルシスト、「俺はすごいんだぞ」という振る舞いをしている人をイメージするのではないかと思います。つまり、やたらと自分を大きく見せようすごく見せようという人や、賞賛されようとする人、他者に対して共感できない人のことです。もちろんこれらの考えは誰でも持っていると思いますが、それが著しく、他者に迷惑をかけていたり、生活に支障が出ている場合です。

  このような場合は、フロイトの言う自己愛の状態、つまり自分だけを愛している状態であり、未熟な自己愛といえると思います。

 

対象愛ってありえるの?

 

 しかし、フロイトの言う対象愛は何の見返りも求めず純粋に他者を愛することですが、本当にそんなことがあり得るのでしょうか。いくら好きな人であっても、無視されたり浮気していたりしたら、怒ったりモヤモヤするのではないのでしょうか。そこでも「彼女が浮気していても、彼女がそれで幸せなら自分も幸せ」と思うのはさすがに難しいのではないかと思います。どんな人であれ、多少は人から愛されたいと思うものです。

 また、フロイトのいう自己愛は、自分で自分を愛すること、自分のことばかり考えていることです。他者を愛するのは、自分が愛されたいがためであり、見返りを求めている状態です。他者のことを考えているようで、実際は自分のことしか考えていない状態をフロイトは自己愛と言いました。たしかに、自分のことしか考えていない状態は自己愛的で、未熟だと言えるかもしれません。しかし、誰しも自分がかわいいものなのではないでしょうか。自分のことが好きだし、だからこそ自信が持てるわけだし、自分も愛されたいという欲求もあると思います。そうした自己愛は誰もが持っているものではないでしょうか

 

自己愛を肯定したコフート

 

 ここでコフートが登場します。コフートは、フロイトの「自体愛⇒自己愛⇒対象愛」といった発達経路を否定し、「自体愛⇒自己愛⇒より高度な自己愛」という発達経路を考え出しました。自己愛まではフロイトと同じですが、最終的に行きつくのは「対象愛」ではなく「成熟した自己愛」と考えました。

f:id:hetare_k:20190323144529p:plain

 コフートも、自分だけを愛している状態は自己愛的であり、未熟だとしています。しかし、人間は誰しも自分がかわいいし、自己愛を満たしてもらいたい生き物だと考えました。「成熟した自己愛」とは、例えば人を愛することを通して自分も愛される、自己愛が満たされるようになることです。つまり、自分のことだけでなく、自分のことと相手のこと両方を愛する、考えることができる状態です。相手のことを分かってあげて、相手の心理的なニーズを満たしてあげて、その上で自分の心理的なニーズも満たしてもらう。このような人との関係を持てることが、「成熟した自己愛」であるとコフートは考えました。

 逆に、自己愛性パーソナリティ障害は、「自己愛」の段階にとどまってしまっている状態で、自己愛が未熟である状態としました。

 

 

今回はここまで。

ではでは。